2009年6月4日木曜日

このブログの内容は、以下に

長い間更新が滞っていたこのブログですが、今後は、 (株) スタイルノートさんの運営されているサイトで続けます。どうぞよろしくお願いいたします。

ほくりく音楽アラカルト (スタイルノート)

2009年2月1日日曜日

OEK第254回定期公演

石川県立音楽堂 (2009年1月30日)

参考ページ→http://oekfan.web.infoseek.co.jp/review/2009/0130.htm

 昨年の10月、ベートーヴェンの《田園》交響曲を聴き、キタエンコの細やかな心配りと、研ぎすまされた感覚に圧倒された筆者であるが、今回は「お国もの」で、本領発揮といったところであろうか。

 冒頭に演奏されたリムスキー=コルサコフの《シェエラザード》では、特に前半楽章に心を奪われた。第1楽章では、主要主題を弦楽器が鮮やかにリードし、管楽器群が色彩と陰影を付けていく。そうしてゆったりとした航海がオーケストラによって綴られていくのである。第2楽章でも、キタエンコはオーケストラのバランスに格段の配慮をし、各々の独奏楽器に委ねられた微妙なニュアンスが明瞭に聴き手に届いていた。後半楽章においても、鮮やかなオーケストレーションの妙技を、きっちりと刈り込んだスタイルで提示しており、この曲のシンフォニックな側面を立体的に提示していた。一方、アビゲイル・ヤングは、終始切々とした美しいヴァイオリン独奏によって、物語の語り役を務めていた。特には悩ましげに、時には瞑想的に、その語り口も実に多彩だ。

 休憩を挟んで後半は、プーランクのオルガン協奏曲。金沢市を拠点に活躍する黒瀬恵のオルガンは、プーランクのシリアスな側面を強く感ずるアプローチ。またこの曲においては、オルガン独奏とオーケストラのコントラストだけでなく、両者が混ざり合って繊細に、慎重に進める箇所があり、キタエンコの鋭敏な音色に対する感覚が、ここでは互いの奏者に自分の音楽を聴かせ合う場を与えていた。

 最後に演奏されたリムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲は華やかなオーケストラではあるが、勢いに任せてしまうことがなく、最後の最後まで力を蓄えているあたり、きちんとゴールが見えていて、全体を構築していくような、したたかさも感じさせた。

 キタエンコは今回も、OEKから優れた機能性を引き出していた。楽団員の反応からも、この指揮者が心から尊敬されていることが伺えた。

追記:《シェエラザード》第4楽章でドラが鳴った直後、ティンパニーが「ソロ」のようになっていました。楽譜には、ティンパニーだけが特別強く叩いたり、テンポを伸縮させるという指示がないようなのですが、ああいうやり方もあるのでしょうか? ちょっとびっくりしました。

2009年1月9日金曜日

2009年1月9日、北日本新聞

の芸能欄に、私が書いた「オーケストラで紡ぐ美しい日本のうた」の評論が掲載されます。ご笑覧賜りますと、幸いでございます。

2009年1月8日木曜日

ハンダンゲル・ヴァイオリン

私はおそらく行けないと思うのですが、ノルウェーの民族楽器、ハンダンゲル・ヴァイオリンによるコンサートがあるようです。場所は富山県立近代美術館です。

ハルダンゲル・ヴァイオリンコンサート
山瀬理桜 (ハンダンゲル・ヴァイオリン)
2009年1月21日(水曜)午後2時から 富山県立近代美術館ロビー

山瀬理桜さんのサイト
→山瀬理桜さんのアルバム「ゴールデン・オーロラ」

参考サイト:富山県立近代美術館、企画展紹介のページ

2009年1月1日木曜日

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします

しばらく更新せず、大変申し訳ございません。前回の投稿から、OEK定期、金沢歌劇座『ラ・ボエーム』、桐朋アカデミー・オーケストラなど、たくさんの公演におじゃまさせていただいておりますが、なかなかこちらに投稿する暇ができておりません。

ところで、今年の年越しは、石川県立音楽堂で迎えました。OEKの「カウントダウン・コンサート」です。楽団員の方々も、お聴きになった、たくさんの方々も、長丁場の演奏会でしたが、おかげさまで、とてもよい新年を迎えることができました。ありがとうございます。

2008年11月17日月曜日

本日 (11/17) の『北國新聞』朝刊

第7面に、私が執筆させていただいた、「オーケストラ・アンサンブル金沢第248回定期公演」の音楽評が掲載されております。ご高拝賜りますと幸いです。

2008年11月16日日曜日

OEK第250回定期公演

2008年10月31日金曜日

オーケストラ・アンサンブル金沢第250回定期公演
石川県立音楽堂コンサートホール、19:00ST
井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
柳浦慎史 (ファゴット [ヴィヴァルディ])
金沢能楽会 (能楽)、野村祐丞 (狂言)

・舞囃子《高砂》
・作曲者不詳 十字軍の音楽〜王の舞曲 王のエスタンピ (3曲)
・ヴィヴァルディ ファゴット協奏曲変ロ長調「夜」RV.501,P.401 F.Vii-I
・狂言「見物左衛門」
・高橋裕 能とオーケストラのための《井筒》(委嘱作品,世界初演)
・ (アンコール) 素囃子《獅子》


お能を観たのは15年ぶりだろうか。以前観たのは国立劇場だったか、はたまた能楽堂だったか。今時の能の上演は字幕も付くのかというのは一つの驚き。しかし、私のように、お能の文句がすらすら出てこない無教養人にはありがたい。演目自体も面を付けず (舞囃子という上演形態なのだそうだ) 、とても短いものだった。おめでたい、儀式的内容だったのかもしれない。

舞台転換のための休憩後、「十字軍の音楽」というコーナーがあった。王の舞曲、王のエスタンピー (3曲) で、出典の詳細は不明。編成的には、オーボエ+打楽器、ヴァイオリン+手回しオルガン (ポジティーフ? ドローン音1つだけ) 、チェロ+コントラバス+打楽器、トランペット2本+ヴィオラ+打楽器で、最後の曲は途中から全員でのアンサンブルになった。オルガン奏者だけ中世を意識した衣装、他の方は私服で演奏されていたようだ。

ヴィヴァルディのファゴット協奏曲では照明が赤くなったりしてムードが出されてたり、小鳥のさえずりがスピーカーから聴こえてきたりの演出。井上氏が言うように「このくらいの冒険があっていい」ってことなのかもしれないけど。演奏はモダン解釈。無難に楽しくという印象。

狂言は、ぱっとみて本当に楽しい。笑い方も独特。今回は次の演目につながるようなセリフが加わっていたり、字幕に「何をやっているのかな?音楽DO」という、井上氏のキャッチコピーも出ていた。

新作は、基本的に能の『井筒』を壊さないようにし、うっすらとオーケストラをかぶせて行くという印象。より具体的には、西洋風の和声という訳にはいかないだろうから、篳篥からちょっと逸脱したような不協和音や篠笛が吹きそうな民謡風の旋律がうっすらと加えられたということなのだろうか。また、派手なクレッシェンドをさせる事でドラマ的な分かりやすさがガイド役を担うといった機能をオーケストラが果たしているという一面もあり、能管のみによる継続的な音の要素を、減衰のないオーケストラの音が、もっと主体的に関わるようにするということもあろう。また能本体が終わり、囃子方・地謡、シテ・ワキ・後見らが退場する時も、物語の余韻を奏でるものとして、オーケストラが後奏を担当していた。客席にはこの時点で拍手をする人がいたが、彼らはいつも能を観ている人だったのかもしれない。もっとも僕が能を観た時は、誰も拍手をしている人がいなかったが、東京以外では、能の演目の終了時に拍手をするのかな?

もともと徹底的に刈り込み洗練させた、抽象化・最小限主義的な要素が能にはあるだろうから、そこに何かを足すということに難しさはあるに違いない。作曲者はそういう伝統芸能を知り尊重しているようだったので、好感が持てたのだけれど、それでもやはり、伝統芸能と西洋のオーケストラの響きというのは、もともと遠いものにあるものだと、改めて感じてしまうのだった。