2008年11月17日月曜日

本日 (11/17) の『北國新聞』朝刊

第7面に、私が執筆させていただいた、「オーケストラ・アンサンブル金沢第248回定期公演」の音楽評が掲載されております。ご高拝賜りますと幸いです。

2008年11月16日日曜日

OEK第250回定期公演

2008年10月31日金曜日

オーケストラ・アンサンブル金沢第250回定期公演
石川県立音楽堂コンサートホール、19:00ST
井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
柳浦慎史 (ファゴット [ヴィヴァルディ])
金沢能楽会 (能楽)、野村祐丞 (狂言)

・舞囃子《高砂》
・作曲者不詳 十字軍の音楽〜王の舞曲 王のエスタンピ (3曲)
・ヴィヴァルディ ファゴット協奏曲変ロ長調「夜」RV.501,P.401 F.Vii-I
・狂言「見物左衛門」
・高橋裕 能とオーケストラのための《井筒》(委嘱作品,世界初演)
・ (アンコール) 素囃子《獅子》


お能を観たのは15年ぶりだろうか。以前観たのは国立劇場だったか、はたまた能楽堂だったか。今時の能の上演は字幕も付くのかというのは一つの驚き。しかし、私のように、お能の文句がすらすら出てこない無教養人にはありがたい。演目自体も面を付けず (舞囃子という上演形態なのだそうだ) 、とても短いものだった。おめでたい、儀式的内容だったのかもしれない。

舞台転換のための休憩後、「十字軍の音楽」というコーナーがあった。王の舞曲、王のエスタンピー (3曲) で、出典の詳細は不明。編成的には、オーボエ+打楽器、ヴァイオリン+手回しオルガン (ポジティーフ? ドローン音1つだけ) 、チェロ+コントラバス+打楽器、トランペット2本+ヴィオラ+打楽器で、最後の曲は途中から全員でのアンサンブルになった。オルガン奏者だけ中世を意識した衣装、他の方は私服で演奏されていたようだ。

ヴィヴァルディのファゴット協奏曲では照明が赤くなったりしてムードが出されてたり、小鳥のさえずりがスピーカーから聴こえてきたりの演出。井上氏が言うように「このくらいの冒険があっていい」ってことなのかもしれないけど。演奏はモダン解釈。無難に楽しくという印象。

狂言は、ぱっとみて本当に楽しい。笑い方も独特。今回は次の演目につながるようなセリフが加わっていたり、字幕に「何をやっているのかな?音楽DO」という、井上氏のキャッチコピーも出ていた。

新作は、基本的に能の『井筒』を壊さないようにし、うっすらとオーケストラをかぶせて行くという印象。より具体的には、西洋風の和声という訳にはいかないだろうから、篳篥からちょっと逸脱したような不協和音や篠笛が吹きそうな民謡風の旋律がうっすらと加えられたということなのだろうか。また、派手なクレッシェンドをさせる事でドラマ的な分かりやすさがガイド役を担うといった機能をオーケストラが果たしているという一面もあり、能管のみによる継続的な音の要素を、減衰のないオーケストラの音が、もっと主体的に関わるようにするということもあろう。また能本体が終わり、囃子方・地謡、シテ・ワキ・後見らが退場する時も、物語の余韻を奏でるものとして、オーケストラが後奏を担当していた。客席にはこの時点で拍手をする人がいたが、彼らはいつも能を観ている人だったのかもしれない。もっとも僕が能を観た時は、誰も拍手をしている人がいなかったが、東京以外では、能の演目の終了時に拍手をするのかな?

もともと徹底的に刈り込み洗練させた、抽象化・最小限主義的な要素が能にはあるだろうから、そこに何かを足すということに難しさはあるに違いない。作曲者はそういう伝統芸能を知り尊重しているようだったので、好感が持てたのだけれど、それでもやはり、伝統芸能と西洋のオーケストラの響きというのは、もともと遠いものにあるものだと、改めて感じてしまうのだった。