参考ページ→http://oekfan.web.infoseek.co.jp/review/2009/0130.htm
昨年の10月、ベートーヴェンの《田園》交響曲を聴き、キタエンコの細やかな心配りと、研ぎすまされた感覚に圧倒された筆者であるが、今回は「お国もの」で、本領発揮といったところであろうか。
冒頭に演奏されたリムスキー=コルサコフの《シェエラザード》では、特に前半楽章に心を奪われた。第1楽章では、主要主題を弦楽器が鮮やかにリードし、管楽器群が色彩と陰影を付けていく。そうしてゆったりとした航海がオーケストラによって綴られていくのである。第2楽章でも、キタエンコはオーケストラのバランスに格段の配慮をし、各々の独奏楽器に委ねられた微妙なニュアンスが明瞭に聴き手に届いていた。後半楽章においても、鮮やかなオーケストレーションの妙技を、きっちりと刈り込んだスタイルで提示しており、この曲のシンフォニックな側面を立体的に提示していた。一方、アビゲイル・ヤングは、終始切々とした美しいヴァイオリン独奏によって、物語の語り役を務めていた。特には悩ましげに、時には瞑想的に、その語り口も実に多彩だ。
休憩を挟んで後半は、プーランクのオルガン協奏曲。金沢市を拠点に活躍する黒瀬恵のオルガンは、プーランクのシリアスな側面を強く感ずるアプローチ。またこの曲においては、オルガン独奏とオーケストラのコントラストだけでなく、両者が混ざり合って繊細に、慎重に進める箇所があり、キタエンコの鋭敏な音色に対する感覚が、ここでは互いの奏者に自分の音楽を聴かせ合う場を与えていた。
最後に演奏されたリムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲は華やかなオーケストラではあるが、勢いに任せてしまうことがなく、最後の最後まで力を蓄えているあたり、きちんとゴールが見えていて、全体を構築していくような、したたかさも感じさせた。
キタエンコは今回も、OEKから優れた機能性を引き出していた。楽団員の反応からも、この指揮者が心から尊敬されていることが伺えた。
追記:《シェエラザード》第4楽章でドラが鳴った直後、ティンパニーが「ソロ」のようになっていました。楽譜には、ティンパニーだけが特別強く叩いたり、テンポを伸縮させるという指示がないようなのですが、ああいうやり方もあるのでしょうか? ちょっとびっくりしました。